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【このサイトについて】
本サイトはタマナハユウという人物の個人情報に特化したサイトになっています。 また、これは第三者によって制作されたものではなく、ユウ本人が管理運営しております。 そもそも何者でもないただの一般人が一体何故このようなニーズのない自己紹介サイトのようなものを作ってしまうに至ったのかは下まで読み進めて頂ければなんとなく分かると思いますが、これまでに数多くの活動をしてきたため、何をしている人間なのかの説明が大変で、自分自身でも収拾がつかなくなってきたこともあり、これまでの活動や経歴を整理してみる事にしたためです。 毎回自己紹介の度に、僕の言葉足らずのよく分からない説明で人を混乱させる事もなく、お互いの説明と理解の手間も多少は省けると思い、本サイトの公開に至りました。

PROFilE

1986年2月12日沖縄生まれ。自由業。突然謎の大富豪から巨額の遺産を受け継ぐことを夢見ながら、フリーランスのなんでも屋として生活している。
映像作家、グラフィックデザイナー、レーベルオーナー、イベント企画、写真・映画製作、インフォショップ(オルタナティブスペース)、バンド等などに手を出しており、「お前はなにがやりたいんだ?」と言われる事が稀にあるが、自分がやりたい事はとりあえずやってみているだけで、途中で飽きて辞めることも多い。
"やりたい事は全部やる"、"やりたくない事はなるべくやらない"という、自意識の高い人たち誰もが口にしてそうな生活を送っている。
以下はどうでも良い経歴となる。

【幼少期】
母親に不倫疑惑が持ち上がるほどのブサイクな姿でこの世に産まれ落ちる。
親戚一同愕然とするが、順調に人並みの容姿へと近づいていくも、5歳の頃に両親は離婚。何故かその頃に両親が同時に失踪し、弟と二人でテトラポッドの下で海藻を採りながら生活していたという話が東京の一部の友人の間で出回っているが、それは完全なガセ情報である。
ただし、小学4年~6年の間は弟と二人で親元を離れ愛媛の山奥に疎開していたことは有名な逸話である。


【中学時代】
中学生時代には愛媛から沖縄に帰ってくるも、山の民として育った少年には県内最底辺の学校の教育水準にすら追いつく事が出来なかった。
また、唯一の取柄である学内一の身体能力を鬼ごっこ以外で生かす事もなく帰宅部として、日々テレビゲームばかりをして過ごす。
その頃にやっていたクレイジータクシーというテレビゲームのBGMに衝撃を受け、音楽に興味を持つ。
中学三年になる頃には、友人のおかげでやっと英語の小文字とローマ字を読み書きできるようになるが、時を同じくして学校中のギャルから無視をされ、給食の配膳をしてもらえないという陰湿なイジメを受けるが、当時はイジメられている事に無自覚であったが、いまだにギャルへの苦手意識が強いのはその当時の事が深層心理にトラウマを与えているのかもしれない。


【高校時代】
親戚の叔父から貰ったiMacに入っていたPhotoshopをえらく気に入り、独学でグラフィックデザインやアニメーション制作の基礎を磨く。また、学校の選択授業でwebの授業を選択し、HTMLを学習。
「お前が好きな音楽ってパンクだよな?」という友人の言葉で初めて自分の好きな音楽ジャンルを自覚し、PUNKと付く名のものを漁るようになるが、当時、青春パンクというブームの最盛期で、迷走を始める。
また、それらの音楽を携帯電話の着信音にするべく、mp3のバイナリ書き換えなどの行うも、そこから先は特に興味が湧かず、せっかくのプログラミング技術を身に付けるチャンスは途絶えた。


【専門学校時代】
デザインの専門学校に通うが、高校の頃に取得した技術以上のものが得られる事も無く、また商業デザインにも興味が沸かず、学校の授業では毎日寝るだけの生活となる。一般のデザインコンペなどで教師にアイディアを盗作され、賞金10万円を持ってかれるなどの事件をキッカケに学校に反感を覚え、友人と一緒にチャンネルシックスという名前で活動を始める。
チャンネルシックスは、学校主催の展示会で勝手に学校とは全く関係のない作品を大量にゲリラ展示などを繰り返し、一部教師たちとの対立が始まる。不真面目な態度と大人を舐め腐った行動に業を煮やした教師から背中に飛び蹴りを喰らうなどの仕打ちも受けるが、しかし、卒業コンペの際にチャンネルシックスメンバーで上位三冠を獲得し、教師陣に辛酸を舐めさせることに成功するというこの話はもはやただの自慢話でしかない。


【その後】
20歳の頃に専門学校を卒業後、テレビ局や広告代理店などからの誘いを全て断り、就職を拒んだまま社会へと放たれる。
学生時代に部活や勉学で育むべき忍耐や努力、我慢というものを身に付ける事が出来なかったせいもあり、その日暮らしのニート生活を長期間行う。
その間に友人と69個のお題と共にヒッチハイクで日本縦断の旅へと出たり、路上でTシャツを売ったり、よく分からない写真集を自費出版したり、映画を撮ったり、友達同士でBARを始めてみたりとしてる内に少しずつ色んな事をやるようになってきた。何度かホームレス化した生活も体験してきたが、人からデザインの依頼を受けたりしていく内に生活基盤が整い、沖縄市にあるPOGOTOWN、NEO POGOTOWNというスペースを友人たちと運営しつつ、現在は主にデザイン業で生計を立てながら相変わらず好きなことばかりを続けている。

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